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ドライブに最適、小樽市の沿岸部オタモイに存在したオタモイ遊園地跡地の情緒ある景色について

Last Updated on 6月 30, 2025 by cometeJP_gk

平凡サラリーマン
平凡サラリーマン
  • 昭和初期に小樽市のオタモイ海岸の岸壁の上に「龍宮閣」と言われる料亭があり、その周辺にはオタモイ遊園地があったことはご存じでしょうか。
  • 現在は、各施設は撤去されており、広大な自然のみしか見ることが出来ませんが、約90年以上前に、この場所に建物があったり、たくさんの人でにぎわっていたとイメージすると、とても不思議な感覚に見舞われる場所となっています。
  • 今回はかつてあったオタモイ遊園地の情報や、現在の跡地の状況についてご紹介します。

オタモイ遊園地とは

今なお謎が多いオタモイ遊園地は、昭和初期、巨大リゾート施設であり、その姿が存在していたのはわずか17年ほどでした。

1952年(昭和27年)に中核施設であった崖の上に建てられていた竜宮城「龍宮閣」が大火により焼失したことで、劇的な終わりを遂げています。

オタモイ遊園地が開園したのは、1936年であり、「オタモイ遊園地」と断崖絶壁に建てられた高級料亭「龍宮閣」を中核施設とした巨大リゾート施設として存在していましたが、開園期間はごく短い物であったにもかかわらず、当時の華やかさから伝説的に語り継がれ、特に小樽市内では知名度が高い特別な場所となっています。

なお、料亭の戦前のメニューによると、料理は松竹梅の3つの定食で、松は五品に飯付きで1円50銭(2019年現在の価値で7千円相当)で、10%のサービス料もとっていたとのことです。

オタモイ遊園地の略歴

オタモイ遊園地の創設者・加藤秋太郎は、小樽で「蛇の目」という割烹料亭を営んでいたとされていますが、それ以前の経歴などについてはあまり知られていません。

愛知県出身の加藤は、もともと寿司職人として東京浅草のすし店「蛇の目」で修業を積んだのちに独立、その後朝鮮へ渡り店を開き、順調な経営だったにも関わらず、乗った儲け話が失敗し、次は樺太で事業を立ち上げようと渡航のために立ち寄ったのが小樽でした。

樺太へは渡らずに小樽で寿司店を始めることとなり、そこで名付けたのが東京浅草蛇の目寿司の支店を名乗った「蛇の目寿司」です。

最初は小さな店舗でありましたが、加藤が修行をした本格的な江戸前の寿司は、当時の小樽では珍しく、2年後には2号店を開店させるほどの人気ぶりで、その後は寿司以外にも日本料理、フランス料理、中華料理、てんぷらなどを出す、高級な割烹店となり、店名からも寿司を取り「蛇の目」に改めています。

割烹店が軌道に乗った加藤は、店で出す鯉の仕入れ先であった廣部養鯉園の主人・廣部幸太郎からオタモイという土地を紹介され、当時のオタモイは小樽市の隣町、忍路郡塩谷村(1958年小樽市と合併)に属しており、廣部はオタモイ地区の初期の入植者として、オタモイの風景を熟知していました。

当時、小樽は北海道経済の中心の街で、多くの人が小樽を訪れていたにも関わらず、観光名所がないと言われていた中で、オタモイ海岸の景色が気に入った加藤は、その地を一大観光地にすべく、オタモイ遊園地創設に取り掛かりました。

これまでオタモイ遊園地の創設者として知られていたのは加藤のみでありましたが、当時の資料をもとにした調査活動により、廣部も加藤とともに深く事業にかかわり、遊園地建設に多大な貢献をしたことが明らかになってきています。

1908年(明治41年)加藤秋太郎・きん夫婦来樽 花園町で「蛇の目寿司」を開店
1916年(大正 5年)廣部、忍路郡塩谷村で養鯉業・農業を営む
1929年(昭和 4年)加藤、オタモイ沿岸の山と漁場を合わせて10万坪を購入
1931年(昭和 6年)遊園地の建設開始 白蛇弁天堂の着工
1932年(昭和 7年)加藤、オタモイの土地5万坪を購入
白蛇弁天堂完成
オタモイの唐門竣工、開門式挙行
1933年(昭和 8年)加藤、国有地7万坪の払い下げを受け遊園地の建設に着手
食堂「弁天」(のちの龍宮閣)の着工
小樽蛇の目はオタモイに食堂「弁天」を建築、上棟式挙行
1934年(昭和 9年)小樽新聞紙上で懸賞つきで食堂の名前を募集、「龍宮閣」に決定
龍宮閣竣工
オタモイ龍宮閣延命地蔵尊奉置除幕式 挙行
1935年(昭和10年)弁天閣の完成
1937年(昭和12年)(博物館所蔵の8mmフィルム「小樽名所 オタモイ」菱昌七撮影)
1939年(昭和14年)雪のため演芸場が倒壊
1940年(昭和15年)蛇の目閉店 オタモイ龍宮閣の経営へ専念
弁天閣が地滑りで海岸まで流される
龍宮閣が小樽市の抵当に出される
1942年(昭和17年)加藤、オタモイ遊園地の経営を他者へ譲る
1946~1947年(昭和21~22年)ごろオタモイ遊園地再開
1952年(昭和27年)龍宮閣焼失
1977年(昭和52年)弁天食堂は危険家屋として市によって解体撤去される
1979年(昭和54年)唐門が現在の場所に移転
2006年(平成18年)オタモイ海岸遊歩道で大規模な崩落が発生したのが発見される 市は「安全を保障できない」として遊歩道を通行止めとする
2014年(平成26年)同年8月に発生した大雨により、オタモイ海岸遊歩道上に崖崩れ発生

当時のオタモイ遊園地の主な施設(オタモイ遊園地パンフレットより)

  • 「當園の白眉 龍宮閣」:海抜百五十餘尺の崖上に建つ朱塗の三層楼北海独特な未完成の美を持つ風景に臨んでの一盞は又格別、當閣での宴會は五十人様まで
  • 「大衆向き 弁天食堂」:自動車の乗降広場に面して建つ椅子席本位の大衆向き食堂、天井版に描いてある二百餘種の魚介類の密書は研究者の好資料 百三十人様収容
  • 「無料公開 演芸場」:園の中央にある八百人様を収容する大演芸場、同時に五百人様までの宴会場としても利用し、日曜、祝日毎に日本舞踊、落語、民謡、レビュー等の各種演芸を公開
  • 「児童遊園」:約2,000坪のグラウンドを中心にブランコ、遊動円木、辷り臺、シーソー、木馬、角力場、砂場等の設備あり。
  • 「サッポロ休憩所」:児童遊園に隣りに50人様を容れ得る、ピクニック、ハイカー向の無料休憩所
  • 「オタモイ地蔵尊」:今より約80年前、女人禁制の奥地へ恋人をしたって入り込んだ純情な乙女がカムイの怒にふれた衆人の犠牲となって入水、程へてオタモイの濱に上る、漁場主近江國西川傳右衛門これをあはれみ地蔵尊を建立し永遠にとむらふ、近年乳を授くる地蔵尊として又子寶を授くる地蔵尊として参詣者の絶えること無し。
  • 「伝説の白蛇弁天堂」:當園開發と同時に建立された弁才天で、赤岩、オタモイにまつはる伝説よりして白蛇弁天堂と稱へる、拝殿及び奥院より成る、例年十月大祭を行う。
  • 「漁業を守る 岸守稲荷」:當園開發以前より毎年の鰊大漁を願っての漁民信仰として鎮守ありし稲荷社を新たに堂宇を建立し、伏見稲荷を迎えたるもの、例年六月大祭を行う。

現在のオタモイ遊園地跡地について

現在は、龍宮閣以外の施設も解体工事などが行われ、現在、当時のおもかげをしのぶものとしては移築された唐門のみが残されているだけとなっています。

龍宮閣の建てられていた場所へは立ち入り禁止となっていますが、オタモイ海岸周辺が1963年にニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、1974年に龍宮閣跡地への遊歩道が整備されたことがありました。

そのため、龍宮閣跡地手前までは自由に通行ができたようです。

通行出来た際も、跡地への道のりは容易ではなく、登山道かと思うほどの急こう配、急カーブの続く通称「七曲り」を下り、ようやく遊園地跡地へと辿り着く道のりだったようですが、そこに開ける絶景を目の当たりにすると、ここがかつて夢のリゾート地だった姿かとオーバーラップできるほど、趣のある景色を拝むことが出来たとされています。

しかし、今は遊歩道が崖崩落のため、通行禁止となっており、龍宮閣跡地は海上からしかその姿を見ることができなくなっています。

陸上から見れるオタモイ遊園地跡地の景色について

オタモイ遊園地跡地

小樽からオタモイ海岸に向かうことで、オタモイ遊園地跡地が見れる駐車場にたどり着くことが出来ます。

駐車場

小樽から20分ほど車で走らせると、小さな集落のあるオタモイ地区?に着くことが出来ますが、そこから海岸に向けてかなりくねくねした道を進むと、だいぶ広い駐車場にたどり着きます。

オタモイ遊園地説明

駐車場には、オタモイ遊園地跡地についての説明が書かれた看板が用意されています。

これを見ると、この駐車場にも90年以上前には大きな施設があり、その後ろの山にも転々と遊園地の施設があったようで、とても不思議な感覚を感じることが出来ます。

龍宮閣フォトフレーム

また、駐車場から塔門や、龍宮閣跡地の一部を見ることが出来ますが、かつてあった龍宮閣の位置を分かりやすく把握できるようフォトフレームが用意されています。

龍宮閣フォトフレーム2

このシルエットを見ると、塔門は駐車場からよく見れますが、龍宮閣はその裏側であるため、ほとんど見ることが出来ないことが分かります。

しかし、景色を見る限り、明らかに断崖絶壁であることは分かり、こんなところにリゾート施設の中核施設を建てることをよく考えたなと感心させられます。

また、90年以上前にこんな景色の場所に、多くの人がにぎわるほど集まっていたと、かつての状況をイメージするととても不思議な感覚になります。

オタモイ遊園地塔門

上の写真で、山の岸壁に小さな空洞が見えると思いますが、おそらくこれが塔門だと思われます。

そして、その周辺に2本ほど長い支柱が見えますが、これが龍宮閣の残骸なのか、何とも言えませんが、塔門のすぐ後ろに龍宮閣があったのは間違いありません。

オタモイ遊園地跡地は、とても歴史を感じられる景色を楽しむことが出来る、ほんと不思議な場所になります。

小樽気に来た際は、ドライブがてら、ぜひ見に来てみるべきかと思います。

なお、塔門は、駐車場に来る前の手前に移設されており、容易にみることが可能となっています。

私は、そこに塔門があることを知らず、まっすぐ駐車場に来てしまい、あとあと、移設された塔門があったことを知りました。

もし、オタモイ遊園地跡地を訪れる際は、塔門も見てみたらいいと思います。

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